配信にお金を落とさない理由を考える すいた

 自粛生活が始まり三週間目に突入しようとしている。自粛中でも後輩のyoutube動画の編集に追われる毎日だが納期は特に決まっておらず、無理のないペースで進めている。ありがたいことに自由と生産的活動を両立させ、黙々と一杯のカフェオレを飲みながら作業して過ごす日々だ。4日前には購入したペンタブが届き、ついにデジタルで絵を描く師になれるかと思ったのも束の間、気が付けば後輩の写真の背景を消すためにペンタブで成人男性の肩を華奢にならないよう気をつけながら消しゴムツールでなぞっていた。ただ使い心地は非常に良いものでこれは買ってよかったとほくほくする。自粛ライフはそれなりに満喫しており、お金の使い道も自粛ライフ充実に向けてシフトチェンジできつつある。ただ一つ気がかりなことがある。それは演芸お笑いライブなど普段お金を使っていたジャンルでも有料配信に全く使う気が起きない。タダなら見るとかそういう話でもない。ネトフリは毎日欠かさず見てる。youtubeポケモン対戦実況も見てる。でもライブ配信は観ない。もしかしたらライブに行く行為は生でエンタメを消費する以外の価値があり、単純にネタや面白いものが観れたら良いという単純なものではないかもしれない。そこでライブに行くことを分解して考えてみる。

 そもそもライブに行くためには移動が必要だ。移動したからには家までまた移動しなければならない。至極当たり前のことかもしれないが、移動は現在奪われている行為の一つだ。もしかしたら逆説的ではあるが僕は移動したいからライブを見に行ってたのではないかと仮説を立てることにした。ライブに行けば帰りが遅くなりすぐに寝る時間がくる。帰りを遅くしたいということは外が楽しいからではなく、有り余った時間を家で過ごしたくないからではないか。考えてみれば大学生のころは寮暮らしで、とにかく僕は寮に帰りたくなかった。それは寮が二人部屋で自由に使える場所はベッドの上のみであったし、部屋に鍵をかけられないため突然他の寮生が乱入してくることもありどうでもいい話に付き合わされることも少なくなかった。酒を飲んで絡んでくる寮生はいなかったのがせめてもの救いであろう。(そもそも寮で酒は禁止であるが。)せっかく上京したのに話の合わない人間と時間を過ごす必要はないと考えた僕は落研に入り浸った。毎日落研の先輩にご飯を奢ってもらったり、寄席に足を運んで夜席までいたりして門限ギリギリまで外にいる日々。もちろんそれは外の世界が魅力的だったことに間違いはないが、同時に家(寮)には何もなかったのだ。何もない時間を過ごすことが苦痛であり、お金を払ってでも、長い時間電車に乗ってでも価値のある(あると思っている)体験に時間を過ごしたい思いが結果としてライブに行く要因になったことは間違いない。家以外の場所で時間を潰したい欲求がある、それはサイゼやマックでだらだらすることと本質的にはなんら変わらない。
 現在僕は妹と住んでいることになっているが、今のところ妹は実家にコロナ疎開したままオンライン授業を受けるそうで実質一人暮らしだ。もし妹と今一緒に住んでたら自由はかなり削がれ、今頃家に対するストレスが溜まってるに違いない。そうしたらどやって家にいる時間を減らすか考えるだろう。
快適な家がある以上、僕は逃げ道を探さなくても良くなった。家庭環境の悪いヤンキーを夜中遊びまわって困るなら、外に歩かせないのではなく家庭の居心地を良くするべき。どんな着地点だ。僕は高校生まで家庭環境は悪くなかったが、大学生になってからとにかく家以外のどこかへ行きたい文化系ヤンキーと化したのだ。
 
 あまりにも出かけないために「帰る」概念すら薄まった家。自粛するまで職場近くのヴェローチェで座って飲んでたカフェオレは先々週からコンビニコーヒーに代わり、今ではスーパーで買ったペットボトルのコーヒーと紙パックの牛乳を割って飲んでいる。買って3日目の牛乳は賞味期限もそろそろ危ない。飲み切ってしまおうとほぼ牛乳のカフェオレを冷蔵庫も閉めずに作ると、不思議と実家に居るような気がした。

 

すいた

 

 

まとめ

・ライブは僕にとって逃げる場所でもあった

・家が充実しどこかへ逃げる必要もなくなった

・そもそも配信は家で観る以上、逃げ場として機能しない

・無糖カフェオレを飲みながら一人で作業するだけでそれなりに幸せだ