イエスマンを観たらカツアゲされた 


 大学を卒業して2年が経った。大学入学を機に本州でも青森県に次いで最果ての秋田県、その中でも最果ての小さな町、その中でもさらに最果ての7割自分と同じ姓の表札がかかっている集落から上京した。最後に実家に帰ったのは大学を卒業する直前、ちょうど1年と数カ月前だろう。その時に高校の卒業アルバムを東京へ持ち帰った。決してあの頃を懐かしみ思い出に浸りノスタルジーな気分になりたいわけではない。もし僕があの頃の話に花を咲かせたい高校大好きっ子ちゃんであればとっくに地元で就職し、休みの日は車を30分走らせ合流した友人とカラオケに行ってる日々だろう。この卒業アルバムは東京にいる友人、主に落語研究会の活動で知り合った知的で面白い人たちに見せるつもりだった。自分だけが知ってる高校の同級生を写真だけ見せて彼らがどんな人間か予想する遊びをしたかったからだ。関東近辺の私立出身の友人たちにとって僕のいた進路先は就職が半数を占めるような田舎公立高校のクラスメイトが写真越しにどんな風に映るのか。その遊びのためだけに持ち帰り、楽しみにしてたのだが結局できずに現在を迎えている。

 あれは高校三年生の9月頃だった。当時はロードバイクで結構遠いレンタルビデオ屋まで足を運び、映画を数本借りることが楽しみだった。そんなある日ジム・キャリー主演の映画『イエスマン “YES”は人生のパスワード』をレンタルする。なんでも否定的な男が、全ての選択を「イエス」と答えることを自分に課したことで始まるコメディ映画だ。当時1回観た限りではあるが、僕はこの映画が今でも一番好きだ。この映画を見終わった時、とてつもないエネルギーが身体の底から沸き上がったことを未だに鮮明に覚えている。自分も映画のジム・キャリー同様、言われたこと全てにイエスを課そうと決めた。サイクリングと映画鑑賞で一日が潰れる、一人が好きな僕にとって何事にもイエスを言う行動的かつスリリングで他人に左右されるゲームは非常に魅力的だった。これを機に何か変わるかもしれない。自分が映画の延長線上にいるような気分が一日中抜けなかった。かくして翌日の月曜日、僕のイエスゲームが始まった。
 
 
 「ねえ、豪くんさ~紅茶花伝買って。」――登校して早々、Oさん(仮名)は僕に自販機にある飲み物をねだってきた。Oさんは僕の斜め後ろに座っている同級生の女子で数カ月前にバスケ部の活動を終えていた。ショートカットだが毛量が多い髪型が特徴で、引退してもなおバスケ部独特の強気さが全面に出ており、大きめのちびまる子ちゃんを彷彿とさせた。イケイケとまではいかないが彼氏が他の高校に通っている、歳が1、2個離れた兄が甲子園球児という二つのレアリティでおしゃれな存在ではあった。さらに持ち前の気の強さも相まってスクールカースト上位の集団にいた。Oさんとは同じクラスになって三年目でお互いの気心も知れていた。まあまあうるさいがノリが良くて言いたいことははっきり大声で言う。かなりきつめの秋田弁なため、言葉が訛っているだけでなく「うち、○○してたすけ」と語尾に「すけ」とつける。Oさんに限らずその高校近辺出身の人たちは語尾「すけ」が主流であった。
 
話を戻すがOさんはなんだかんだ結構サッパリしていて接する分にはうまく付き合えていた。ただいつからか分からないが、厄介なことにやたらと飲み物をねだる癖がついたのだ。こっちに気がありそうな雰囲気を出したり、甘えたりして疑似恋愛を引き合いに買ってもらう小賢しさがあるならまだ分かる。ギブアンドテイクの関係ができているからだ。しかし彼女の場合、正面から「奢って!」とだけ自分の要求のみを突きつける超ストロングスタイルだった。もはや一周回って清々しさすら感じられる。確かに僕はクラスではよくおどけるし、野球部からいじられもするポジションだがさすがにこの奢りは納得いかない。もちろん奢る理由も義理も恋愛的感情もないので拒否する。何度かノーを出すと諦めてくれるのだが、その手軽さゆえか次の日もまたストロング奢らせに挑戦してくる。そんな攻防がOさんとの日常であった。多分一度めんどくさくなって奢ってしまった時があったのだろう。それに味を占めてせがんできたのかもしれない。「野良猫にエサをあげないでください!」の張り紙をするおばさんの気持ちがわかってきた。Oさんが悪いのか、そもそもOさんに餌付けした人が悪いのか。そうでないとあいさつ代わりに奢ってと迫る意味が分からない。
 
しかし彼女のカツアゲ的要求も今日ばかりは聞かなければならないのも事実だ。なぜなら僕は一日イエスで答えるとジム・キャリーに誓ったから。決心したとはいえ、そのまま買ってあげるのも気が引ける。普通に面白くないので少し考えることにした。もちろん彼女は僕が密かにイエスゲームをしてることを知らない。しかしイエスでもノーでもない言葉を返すとあとひと押しと見えたのか、さらに買ってくれとせがんできた。それでもあいまいな態度を取っていたら「買ってくれなければキライになるよ!」と得意の大きな声で宣言された。宣言よりかは脅し文句のそれに近かった。なぜ人間関係を壊そうとしてまで120円の甘いお茶を求めるのか。紅茶花伝をもらえなかったせいで不機嫌になったOさんは「ふん!豪君なんかもう知らない!」と正しくはっきりジブリ調の言葉を言い残し立ち去った。そんなトトロを見ることなく高校生になったメイの機嫌を良くするためにも、その日は最高のタイミングで奢ってやろうと燃えていた。
 
その時は早いことに2時間目の体育が終わったころに訪れた。秋田の9月半ばの午前中といえ暑さがまだ残っていた。体操着から制服へ着替えた後、急いで教室に向かっているときにどこからか声がする。「ここだ!今、紅茶花伝を渡すんだ!自販機に向かえーーー!」と僕の頭の中のサプライズ担当、通称サプ担の人格が意見した。サプ担の自信満々の声に内心驚きながらも、教室ではなく自動販売機がある正面口まで紅茶花伝を買いに行った。先手必勝、Oさんが教室に帰ってくる前に買っておくとスマートらしい。さらにサプ担は直接渡す行為はサプライズ精神に欠けると豪語した。彼の指示通り、Oさんの机にキンキンに冷えた紅茶花伝を一本添えた。わびさび精神はここにある。僕は素知らぬ顔で次の授業の準備をする。しばらくして教室の戸が開くとともに「えっ!えっ!!!」と驚きの声が聞こえた。その声は狙い通りOさんだった。彼女は本当に僕が買ってくれると思ってなかったのか、サプ担の演出がハマったのか、さっきまで奢れと脅していた人とは思えないほどの狂喜乱舞。まるで朝起きてクリスマスプレゼントを見つけた娘のような喜びようで最後に「豪くん大好き!!!!!!!!」と叫んだ。
 
 もらってからずっと見ていなかった卒業アルバムを開く。すると一番最後の見開き1ページの真っ白なページに何人からか油性ペンでコメントが書かれている。その中の最後にOさんからのコメントがあった。「――最近は紅茶花伝買ってくれなくて悲しい。大学でも頑張ってね!」水商売みたいな言葉とは裏腹に文字は濃くて力強かった。
 
すいた