僕の中で最もアツかったお笑い

暑いですね、RIPSLYMEが今夜は熱帯夜、と言っていた通りです。

 

 

 

どうも、謹製です。

前回の記事から間が空いてしまいました。

 

実は一本書きかけてボツにしちゃったんですよね。

なんとか形にしたいが…

 

とはいえ、

何の仕事もしていないのにこのありさまだから、仕事を始めたら趣味だの余暇だの言ってられないんでしょうねきっと。

いやそんな個人的ことはどうでもいi…

 

よくもないですかね、たまには僕自身の体験について振り返ってみます。

 

 

すいたさんの記事が実体験を丁寧に面白くなぞっている、イメージでいうと線なのに対し、

僕は点でしか記事を書いていないような気がしていました。

(並木さんは鋭意執筆中なので、空間、ですかね)

 

要するに僕もすいたさんみたいな記事を書きたいという事です。

 

 

というわけで、僕が一番お笑いをアツいと思っていた時期について書きます。

 

 

 

2014年です(結論)

 

 

 

2014年なんですよ(念押し)。

僕はこの年のTHEMANZAIを見て、プロとかアマとかは全くなく、

ただ単純に、絶対にお笑いやろうと思ったんです。

 

 

背景

まず背景として、僕はお笑い好きだけど率先してみるほどではなかった。

たまーーーーにしかオンバトは見なかったし、

エムワンも親が見せてくれなかった年があって、冷めていた時期もあった。

 

ただ、笑い飯がずっと好きで、毎年優勝しないことが不満だったし、最後の最後に優勝できたのはめちゃくちゃ嬉しかった。

 

で、エムワンが終わった。中坊の僕はお笑いが終了したんだと思った。

 

そこに、THE MANZAIである。

 

見たことないコンビばかりで、全組面白すぎて、テレビに出ていなくても面白い芸人が沢山いることに超感動した。

 

磁石テンダラーウーマンラッシュアワー学天即アルコ&ピースチキチキジョニーエルシャラカーニ博多華丸・大吉Hi-Hi囲碁将棋が初めてだった。

 

全組スタイルがそれぞれ違っていたのもすごかった。

特に磁石永沢のヘラヘラしたスタイルとか完全に丸パクリしてその後の学校生活を過ごしたし、

チキチキジョニーのネタは完コピして言えるようになった。

Hi-Hiのメタ的な部分、未来のお笑いだと思っていたものを目の当たりにして、震えた。

 

中学生ともなると流石に、お笑い芸人が賞レースに人生懸けてることがわかってきて、もうこんなに面白いものはないと信じ切った。

 

翌年から事前ネタ番組を見て、サーキットの組み分けを見て、誰が勝ち上がるか予想するようになった。

いっちょ前に、この芸人は今年仕上がってるから決勝来るぞ…

なんて思って見ていた。因果は検証しようがないが、結構当たった。

 

2012にはアルピーの伝説のジェノサイドを目撃した。

 

2013には、一番好きな東京ダイナマイトも見れた。

 

そして2014。

 

サーキット第1回の速報を待つべく、THE MANZAIのホームページでF5キーを押しまくっていた。

予定の時刻を過ぎて、やっと出る。

 

1位、馬鹿よ貴方は 2位、三四郎

 

!?!?!?!?!?!?!??!!?!?!?!??!??!?!?

 

何が起こったのかわからなかった。

事前番組で初めて見た、尖ってて好きだけど勝ちはしないだろうと思っていた2組が勝った。

画面にデカデカと映し出された新道のゆるい笑顔は今も覚えている。

 

 

以降も

学天即 ダイアン

囲碁将棋 エレファントジョン

学天即 コマンダンテ

磁石 レイザーラモン

 

という結果になる。

特に3日目、エレジョンの名前を見たときは立ち上がってしまった。

単純に好きだったというだけだが。

これまた画面に大きく映る二人が、めちゃくちゃいい満面の笑みだったのを覚えている。

 

 

一番アツかったシーン

 

長い背景だった。

やはり一番アツかったのは本番です。

 

ワイルドカード進出者発表に9枠に対し10組呼ばれ、最後三日月マンハッタンとハライチが残って三日月マンハッタンが名前呼ばれた時の衝撃とか、抱き合って喜ぶ三日月マンハッタンの横で悔しそうな顔をする岩井を見て、人気とか関係なく明暗はっきり分かれる感じとか、

トレンディエンジェルに1点差で敗れた三拍子が、初のオンエアのワイルドカードをちゃんと勝って本戦でもウケ狂って華大にあと一歩まで迫ったのとか、

 

あったけど、一番はAブロックの結果発表。

 

ワラテンが磁石に入ってそのあと、アキナとエレジョンで票が真っ二つに割れた。

アキナも好きだったけど、圧倒的にエレジョンに行ってほしかった。

当時の俺はまだ人気の実情なんて何も知らなかったけど、

それでもエレジョンとアキナに賞レースの重みの差がありそうなのは察していた。

 

一票差でアキナが勝った。

あとワラテンが3高ければエレジョン…!

と思いつつ、審査員講評がエレジョンに振られたので耳を傾ける。

 

ありがとうございます!でも、悔いはない、でも、悔しすぎる、でも、どういう言葉にせよ、重みの乗った本音が聞けるぞ、と思っていた。

 

 

ガッテン森枝は、「ガッテンガッテン!」と言った。

 

 

マーーーーーーーーーーーーーーージでカッコよかった。

魂が震える、のもっと先の感情になった。

テレビでは、顔を真っ赤にして、全部をこらえながら言っているような表情に見えた。

 

 

これが僕がお笑いで一番アツいと思った瞬間です。

これ以上発言の真意の推測とか書いても野暮ったくなる一方だと思うので、終わりにします。

 

 

 

当初の思いの通り、演者側としてもお笑いをさわったし、

THE MANZAI見てた頃より格段にお笑いの事を知ったけど、

 

やっぱりこの時以上の情動はもう無いんだろうな、と思う。

 

何でもそうだけど、人気先行で結果が出る方が、残酷じゃないのかもしれない。

それでも勝ち上がればそれだけでもドラマチックになるし。

 

関係ないが、去年真空ジェシカの漫才単独ライブを観に行ったら、ガッテン森枝がチケットのもぎりをしてくれたのが、すごく嬉しかった。

 

 

 

窓際な記事になってしまいました。まとめです。

 

THE MANZAIが特に好きな人、@62178G マデ。

 

・森枝さんは今構成作家

 

・加藤さんは今フリー。

 

・謹製は今もっと広い意味でフリー。

 

 

 

 

普通のまとめかよ。

 

またお会いしましょう。

イエスマンを観たらカツアゲされた 


 大学を卒業して2年が経った。大学入学を機に本州でも青森県に次いで最果ての秋田県、その中でも最果ての小さな町、その中でもさらに最果ての7割自分と同じ姓の表札がかかっている集落から上京した。最後に実家に帰ったのは大学を卒業する直前、ちょうど1年と数カ月前だろう。その時に高校の卒業アルバムを東京へ持ち帰った。決してあの頃を懐かしみ思い出に浸りノスタルジーな気分になりたいわけではない。もし僕があの頃の話に花を咲かせたい高校大好きっ子ちゃんであればとっくに地元で就職し、休みの日は車を30分走らせ合流した友人とカラオケに行ってる日々だろう。この卒業アルバムは東京にいる友人、主に落語研究会の活動で知り合った知的で面白い人たちに見せるつもりだった。自分だけが知ってる高校の同級生を写真だけ見せて彼らがどんな人間か予想する遊びをしたかったからだ。関東近辺の私立出身の友人たちにとって僕のいた進路先は就職が半数を占めるような田舎公立高校のクラスメイトが写真越しにどんな風に映るのか。その遊びのためだけに持ち帰り、楽しみにしてたのだが結局できずに現在を迎えている。

 あれは高校三年生の9月頃だった。当時はロードバイクで結構遠いレンタルビデオ屋まで足を運び、映画を数本借りることが楽しみだった。そんなある日ジム・キャリー主演の映画『イエスマン “YES”は人生のパスワード』をレンタルする。なんでも否定的な男が、全ての選択を「イエス」と答えることを自分に課したことで始まるコメディ映画だ。当時1回観た限りではあるが、僕はこの映画が今でも一番好きだ。この映画を見終わった時、とてつもないエネルギーが身体の底から沸き上がったことを未だに鮮明に覚えている。自分も映画のジム・キャリー同様、言われたこと全てにイエスを課そうと決めた。サイクリングと映画鑑賞で一日が潰れる、一人が好きな僕にとって何事にもイエスを言う行動的かつスリリングで他人に左右されるゲームは非常に魅力的だった。これを機に何か変わるかもしれない。自分が映画の延長線上にいるような気分が一日中抜けなかった。かくして翌日の月曜日、僕のイエスゲームが始まった。
 
 
 「ねえ、豪くんさ~紅茶花伝買って。」――登校して早々、Oさん(仮名)は僕に自販機にある飲み物をねだってきた。Oさんは僕の斜め後ろに座っている同級生の女子で数カ月前にバスケ部の活動を終えていた。ショートカットだが毛量が多い髪型が特徴で、引退してもなおバスケ部独特の強気さが全面に出ており、大きめのちびまる子ちゃんを彷彿とさせた。イケイケとまではいかないが彼氏が他の高校に通っている、歳が1、2個離れた兄が甲子園球児という二つのレアリティでおしゃれな存在ではあった。さらに持ち前の気の強さも相まってスクールカースト上位の集団にいた。Oさんとは同じクラスになって三年目でお互いの気心も知れていた。まあまあうるさいがノリが良くて言いたいことははっきり大声で言う。かなりきつめの秋田弁なため、言葉が訛っているだけでなく「うち、○○してたすけ」と語尾に「すけ」とつける。Oさんに限らずその高校近辺出身の人たちは語尾「すけ」が主流であった。
 
話を戻すがOさんはなんだかんだ結構サッパリしていて接する分にはうまく付き合えていた。ただいつからか分からないが、厄介なことにやたらと飲み物をねだる癖がついたのだ。こっちに気がありそうな雰囲気を出したり、甘えたりして疑似恋愛を引き合いに買ってもらう小賢しさがあるならまだ分かる。ギブアンドテイクの関係ができているからだ。しかし彼女の場合、正面から「奢って!」とだけ自分の要求のみを突きつける超ストロングスタイルだった。もはや一周回って清々しさすら感じられる。確かに僕はクラスではよくおどけるし、野球部からいじられもするポジションだがさすがにこの奢りは納得いかない。もちろん奢る理由も義理も恋愛的感情もないので拒否する。何度かノーを出すと諦めてくれるのだが、その手軽さゆえか次の日もまたストロング奢らせに挑戦してくる。そんな攻防がOさんとの日常であった。多分一度めんどくさくなって奢ってしまった時があったのだろう。それに味を占めてせがんできたのかもしれない。「野良猫にエサをあげないでください!」の張り紙をするおばさんの気持ちがわかってきた。Oさんが悪いのか、そもそもOさんに餌付けした人が悪いのか。そうでないとあいさつ代わりに奢ってと迫る意味が分からない。
 
しかし彼女のカツアゲ的要求も今日ばかりは聞かなければならないのも事実だ。なぜなら僕は一日イエスで答えるとジム・キャリーに誓ったから。決心したとはいえ、そのまま買ってあげるのも気が引ける。普通に面白くないので少し考えることにした。もちろん彼女は僕が密かにイエスゲームをしてることを知らない。しかしイエスでもノーでもない言葉を返すとあとひと押しと見えたのか、さらに買ってくれとせがんできた。それでもあいまいな態度を取っていたら「買ってくれなければキライになるよ!」と得意の大きな声で宣言された。宣言よりかは脅し文句のそれに近かった。なぜ人間関係を壊そうとしてまで120円の甘いお茶を求めるのか。紅茶花伝をもらえなかったせいで不機嫌になったOさんは「ふん!豪君なんかもう知らない!」と正しくはっきりジブリ調の言葉を言い残し立ち去った。そんなトトロを見ることなく高校生になったメイの機嫌を良くするためにも、その日は最高のタイミングで奢ってやろうと燃えていた。
 
その時は早いことに2時間目の体育が終わったころに訪れた。秋田の9月半ばの午前中といえ暑さがまだ残っていた。体操着から制服へ着替えた後、急いで教室に向かっているときにどこからか声がする。「ここだ!今、紅茶花伝を渡すんだ!自販機に向かえーーー!」と僕の頭の中のサプライズ担当、通称サプ担の人格が意見した。サプ担の自信満々の声に内心驚きながらも、教室ではなく自動販売機がある正面口まで紅茶花伝を買いに行った。先手必勝、Oさんが教室に帰ってくる前に買っておくとスマートらしい。さらにサプ担は直接渡す行為はサプライズ精神に欠けると豪語した。彼の指示通り、Oさんの机にキンキンに冷えた紅茶花伝を一本添えた。わびさび精神はここにある。僕は素知らぬ顔で次の授業の準備をする。しばらくして教室の戸が開くとともに「えっ!えっ!!!」と驚きの声が聞こえた。その声は狙い通りOさんだった。彼女は本当に僕が買ってくれると思ってなかったのか、サプ担の演出がハマったのか、さっきまで奢れと脅していた人とは思えないほどの狂喜乱舞。まるで朝起きてクリスマスプレゼントを見つけた娘のような喜びようで最後に「豪くん大好き!!!!!!!!」と叫んだ。
 
 もらってからずっと見ていなかった卒業アルバムを開く。すると一番最後の見開き1ページの真っ白なページに何人からか油性ペンでコメントが書かれている。その中の最後にOさんからのコメントがあった。「――最近は紅茶花伝買ってくれなくて悲しい。大学でも頑張ってね!」水商売みたいな言葉とは裏腹に文字は濃くて力強かった。
 
すいた
 

ネギをまんべんなく均等に散らしてはいけない理由

 

 

無いと思いません?

 

 

 

すみません、結論を急いでしまいました。謹製です。

就活生の悪い所ですね。じっくり考慮しないとわからない事もあります。

 

 

 

今回はタイトルの通り、

 

 

ネギをまんべんなく均等に散らしてはいけない理由

 

 

について考えます。

朝ごはんを食べているときに思いついた論題です。

結論など予測もしないままつらつらと書いているので

ロジックがめちゃくちゃになる気がします。

まあ付き合ってやってください。

 

さて、

僕は以前にも自分でやっていたブログで、お酢についてちんたら書いたことがある。

(https://ameblo.jp/humbly-made/entry-12451522401.html

昔の自分の文って例外なく恥ずかしい文体で嫌ですがこれです)

 

読んでも読まなくてもいいんですが、

僕が割と食にこだわりがある方だとわかってもらえたらいいです。

 

そしてそんな僕はネギがかなり好きです。

お金の無い一人暮らしの時分でも、

コンビニで50円引きになっている刻みネギを目ざとく買ってはストックしてました。

何にでもあい、料理を引き立たせつつ香ってくる風味が好きです。

 

無類のネギ好き、そして食に無関心ではない私から言わせてください

 

 

 

料理に、料理にネギが少なすぎます。

 

 

 

言葉に重みを乗せすぎて主語が二回登場してしまいました。

 

少ないというのは少ないのであって、無いぞ!とは思ってません。

 

どんな料理でも、最後にネギを散らして完成、

というときのネギってあまりに少なくないですか?

っていう事です。

 

ジャイアントコーンのメインくらい少ない。

よく今まで三種類もずっと売れ続けているな、と思いませんか?

ナッツもチョコクランチも1,2口でなくなって残りは平凡なアイスなのに。

 

ネギも同じです、数口分しかない。

クックパッドを見ても

「完成♪♪♪」

の写真のネギはどれもシューマイに対するグリンピースくらいの量しかない。

 

そういうの見ちゃうと

 

いやひとつまみってそれ絶対あなた手抜きしてますよね、

あなたが本気でつかめばその倍はネギをかけられる。

そんな量赤ん坊のモロー反射でもつかめますよ。

 

とつかみかかりたくなります。(ネギだけにね)(きっと赤ん坊にむやみにネギを差し出してはいけないと思います)

 

なんであんなに少ないんでしょう?

 

いくつか理由を考えてみます。

 

 

1.味が変わる

 

変わらなくないですか?

 

ネギラーメン食べた事はありますでしょうか。

名前からして主役、そして実際に主役級のボリュームが乗ってきても、

中盤以降は割と普通にラーメンど真ん中じゃないですか?

ネギのせいでずっとネギだよ…ってことはなくて、

むしろ最後にレンゲでかき集めるのってそぼろ肉の方だったりしませんか?

 

大好きだといった手前言いづらいですが、量の増減でそうそうネギが主役になる事は無いと思います。

これは違ってそう。

 

 

2.見栄え

 

これだと思ってます。

さっきシューマイを引き合いに出したけど、

あれも要は見栄えですよね?

味や食感で乗せてるんだったら、1つってことはないでしょう。

 

タンパク質や炭水化物に緑色をしているものってあんまりなくて、

綺麗な方が美味しそうだから、ちょっと乗っける。

 

あんまり散らし過ぎると、統率がとれていない感じがする。

日の丸だって白地に赤○一個だから清々しいのであって、

いくつも赤丸があったらちょっとダサいですもんね。

というかそれはもう草間彌生の版権の範疇です。

国旗が誰かの版権の中に合ったらややこしすぎる。

 

脱線しましたが、

これは理にかなっている気がします。

こいつは後でじっくり考えなおすとして思いつくだけ他も挙げてみます。

 

 

3.ネギが足りない

 

まあ無いでしょう。

 

土俵入りくらい景気よくネギを撒く僕ですら、

夏場は余らせてダメにしてしまったことがあるくらいです。

 

ましてや主婦の典型像としてスーパーの袋から飛び出るネギがあるくらいなのに

一本で買っておいて残りも何もないと思います。

買い物すら自粛しなきゃならない今じゃあるまいし。

 

あとネギの不作って聞いたことが無い。

不作になるイメージもない。

 

気になってGoogleに「ネギ 不作」といれてみたら7件しか出てこなかった。

これが根拠としてどうこうは置いといて、そんなに少ないの?

殆どが農家の方のブログだった。

もしネギの不作について知りたい人が次に調べた時、

この記事が出てきちゃったら申し訳ないな。

天空の城でネギも育てる計画の話ではありません。悪しからず。

その人には不作で高くても買わせてもらおう。

 

ともあれ、これはなさそうかな。

 

 

4.伝統

 

見栄えとかではなく、日本人の美的センスみたいな話かも?

 

日本人は何事も控えめ、

昔は家事は女性がするものだったし、

3歩下がって家主をたてる、そういった感覚で

主役の料理をたてる、みたいな感じですかね

 

まあ女性がなんでネギを自分に見立ててるのか意味わかんないですけど。

 

ただ、外国の人に同じレシピで作ってもらうと、

最後の手順で日本人より多めにネギを盛り付ける、

とかはありそうな気もしますね。

 

 

5.みんなネギはそんなに好きじゃなくて、仕方なくちょびっと載せている

 

考えたくもないな、美味しいのに。

 

というかなら乗せないし買わないですね。

 

意外と野菜の中ではピーマンやニンジンがヘイトを集めるので

ネギってあまり嫌われていない野菜かも。

ボカロも好む野菜だし。

 

 

こんなもんでしょうか。

 

 

さてさて、

 

見栄え、ねえ…

 

タピオカ撮って捨てるみたいな悪質さはないし責めづらい。

自分で乗せてるんだから食べるわけで、

そもそもネギってかなり気軽に避けられるものだと思います。

 

箸でつまんで避けられるっていう物理的な点もそうだけど、

ネギ要らない人って気軽に「ネギ抜き」を頼む気がする。

 

ネギを要らないと言う事への精神的なハードルがかなり低い世の中とでもいうべきか。

みんな王将とかで簡単に注文してません?

 

逆に増やすのも出来るのかもしれないけど、

一応諸々コストに見合った定価が定められているのに、

ぬけぬけと増やせとは言いづらい。頼む人も見ないし。

いるとすれば

20世紀少年の幼いころのカンナくらいか。

でもこれも

 

「にんにくラーメンの麺かためメンマ少なめネギ大盛りチャーシューおまけして。」

 

見返してみると

ネギが増えてる分はメンマで釣り合い取れてるし、

チャーシューは馴染みのお店に「おまけ」を頼んでいるんだから別カウントで良いと思う。

やはり増やす例は見かけないな。

 

こういう減らせて増やせない構造も、

別に少なくていいという刷り込みになっているのかも。

 

かたや、はなまるや丸亀みたいなうどん屋は異常に安売りしてくる。

際限なく盛れるから、限りなく0に近い値段で提供されてるといえる。

これもなんか、ありがたいんだけど価値のイメージを下げている気がする。

 

で、しかも、

かけ放題なのにやはりグリンピースくらいしかかけない人がいる。

 

あれかな、

野菜はわざわざ別で食べるほど好きじゃないけど一応は摂っている、

という免罪符なのかな、ネギって。

 

 

消極的理由でご飯食べ始めたらおしまいだと思いますけどね僕は。

好きだからという理由で好きなものばかり食べて

身体の調子が整えられるからという理由で嫌い目なものも真っ向から食べましょうよ。

 

 

とまあ、もう少し多くてもいいじゃないか、

というのを2800字まで引き延ばしてみました。

 

 

今気づいた、また食い物の記事かよコイツ。

 

 

まとめです。

 

 

・国立のローソンはすぐネギを半額で売る。

 

ジャイアントコーンは今後もこれといった理由なく売れ続ける。

 

・ラーメン一杯はネギが背負うには少し荷が重い。

 

・謹製は食事をすぐ批評する。

 

 

またお会いしましょう。

配信にお金を落とさない理由を考える すいた

 自粛生活が始まり三週間目に突入しようとしている。自粛中でも後輩のyoutube動画の編集に追われる毎日だが納期は特に決まっておらず、無理のないペースで進めている。ありがたいことに自由と生産的活動を両立させ、黙々と一杯のカフェオレを飲みながら作業して過ごす日々だ。4日前には購入したペンタブが届き、ついにデジタルで絵を描く師になれるかと思ったのも束の間、気が付けば後輩の写真の背景を消すためにペンタブで成人男性の肩を華奢にならないよう気をつけながら消しゴムツールでなぞっていた。ただ使い心地は非常に良いものでこれは買ってよかったとほくほくする。自粛ライフはそれなりに満喫しており、お金の使い道も自粛ライフ充実に向けてシフトチェンジできつつある。ただ一つ気がかりなことがある。それは演芸お笑いライブなど普段お金を使っていたジャンルでも有料配信に全く使う気が起きない。タダなら見るとかそういう話でもない。ネトフリは毎日欠かさず見てる。youtubeポケモン対戦実況も見てる。でもライブ配信は観ない。もしかしたらライブに行く行為は生でエンタメを消費する以外の価値があり、単純にネタや面白いものが観れたら良いという単純なものではないかもしれない。そこでライブに行くことを分解して考えてみる。

 そもそもライブに行くためには移動が必要だ。移動したからには家までまた移動しなければならない。至極当たり前のことかもしれないが、移動は現在奪われている行為の一つだ。もしかしたら逆説的ではあるが僕は移動したいからライブを見に行ってたのではないかと仮説を立てることにした。ライブに行けば帰りが遅くなりすぐに寝る時間がくる。帰りを遅くしたいということは外が楽しいからではなく、有り余った時間を家で過ごしたくないからではないか。考えてみれば大学生のころは寮暮らしで、とにかく僕は寮に帰りたくなかった。それは寮が二人部屋で自由に使える場所はベッドの上のみであったし、部屋に鍵をかけられないため突然他の寮生が乱入してくることもありどうでもいい話に付き合わされることも少なくなかった。酒を飲んで絡んでくる寮生はいなかったのがせめてもの救いであろう。(そもそも寮で酒は禁止であるが。)せっかく上京したのに話の合わない人間と時間を過ごす必要はないと考えた僕は落研に入り浸った。毎日落研の先輩にご飯を奢ってもらったり、寄席に足を運んで夜席までいたりして門限ギリギリまで外にいる日々。もちろんそれは外の世界が魅力的だったことに間違いはないが、同時に家(寮)には何もなかったのだ。何もない時間を過ごすことが苦痛であり、お金を払ってでも、長い時間電車に乗ってでも価値のある(あると思っている)体験に時間を過ごしたい思いが結果としてライブに行く要因になったことは間違いない。家以外の場所で時間を潰したい欲求がある、それはサイゼやマックでだらだらすることと本質的にはなんら変わらない。
 現在僕は妹と住んでいることになっているが、今のところ妹は実家にコロナ疎開したままオンライン授業を受けるそうで実質一人暮らしだ。もし妹と今一緒に住んでたら自由はかなり削がれ、今頃家に対するストレスが溜まってるに違いない。そうしたらどやって家にいる時間を減らすか考えるだろう。
快適な家がある以上、僕は逃げ道を探さなくても良くなった。家庭環境の悪いヤンキーを夜中遊びまわって困るなら、外に歩かせないのではなく家庭の居心地を良くするべき。どんな着地点だ。僕は高校生まで家庭環境は悪くなかったが、大学生になってからとにかく家以外のどこかへ行きたい文化系ヤンキーと化したのだ。
 
 あまりにも出かけないために「帰る」概念すら薄まった家。自粛するまで職場近くのヴェローチェで座って飲んでたカフェオレは先々週からコンビニコーヒーに代わり、今ではスーパーで買ったペットボトルのコーヒーと紙パックの牛乳を割って飲んでいる。買って3日目の牛乳は賞味期限もそろそろ危ない。飲み切ってしまおうとほぼ牛乳のカフェオレを冷蔵庫も閉めずに作ると、不思議と実家に居るような気がした。

 

すいた

 

 

まとめ

・ライブは僕にとって逃げる場所でもあった

・家が充実しどこかへ逃げる必要もなくなった

・そもそも配信は家で観る以上、逃げ場として機能しない

・無糖カフェオレを飲みながら一人で作業するだけでそれなりに幸せだ

 

 

 

 

 

 

 

暖かくなってきて

こんばんは、謹製です。

 

いきさつだけ書いて満足していた連載を更新しようと思う。

 

テーマには困っていなかったものの、
おうち時間にはゲームやゲームなど
誘惑が多すぎてまるで更新できていなかった。

 

何か理由をつけては物事から逃げるのが得意技の自分だが、
記事を書かないことについて

スマホじゃなくてパソコンからじゃないと
 文章って書きづらいんだよな~…」

と、パソコンに向き合いながら思っていたので
もう逃げ道は無いようだった。

 

 


さて、
日本全国どこでも同様かは分からないが、

気候が暖かくなったり寒くなったりと、
文字通り三寒四温を繰り返している。

そんな中でも徐々に季節は移ろっているようで、
我が家でも先日起毛素材のパジャマを
一度しまったら当分取り出せない引き出しにしまい、

(というのもこの引き出しは別の引き出しを一度押し入れから出さないと何かに引っ掛かって引き出せないからこういった表現が当てはまる)

自分もTシャツ1枚でアイスを食べて日中を過ごすなど
夏の訪れを感じる。

 

ところで皆さん、夏といえばなんでしょう?

 


…水着ギャル?

 


日本は今緊急事態宣言下にあるんですよ?
そんな外出をはらんだ概念は不謹慎です。ふざけないでください。

ご自身が水着ギャルだという方は本当にごめんなさい。
服を着てください。

 


そう、アイス。

既にアイスの話をしているからって、
アイスの話じゃないなんて誰も言っていない。

 


アイスの話。

食べていて思ったのだが、これはデザートなのだろうか?
もう少し真意に近い言い方をすれば、
これはデザートと呼んでいい代物なのだろうか?

 

アイスの魅力を思い浮かべて欲しい。

 

概ね以下のどちらかを思い浮かべたことと思う。

 

1.冷たくて甘い

2.ヒンヤリしててスウィーティー

 

どちらでも正解です。
2だった人は水着ギャルです。まだそんな格好してるんですか、服を着てください。

 

ともあれ、冷たさがその魅力の大半を占めている事と思う。

甘くなくてもアイスだが(ex.結構いい抹茶アイス)
冷たくなくてはアイスではない(ex.アイスクリームの天麩羅は結局冷たい)

 

それってどうなの?と思うわけだ。

普通デザートといえばもっとアマゾンの生態系みたいに、
独自の特徴を進化させてきている。

 

レアチーズケーキがあんなに頑張って三角形の先細りを鋭利にして
カロンがあれほど普段見かけない色ばかりカラバリを増やし
モンブランの土台は建材に負けじと硬化して
山に棲む鬼に選ばれてしまった苺農家は折角の苺を泣く泣くイチゴ大福工場に納品しているのに

 

アイスときたら
どんな形でも・どんな色でも・どんな硬さでも・大福に入っていても
アイスとしてぬくぬく(ユーモア)しているのだ。

 

冷たければいい、というのはなんとも驚異的なあぐらのかき方ではないか。

 

逆に言えば、
冷たい以外の取り柄が無いという事でもある。

そんなのはもうアクエリアスだ。

(アクエリアスは常温で飲むくらいなら死んだ方がマシだという習わしは古来からあり、有名な話だが私の出身地ではぬるいアクエリアスを目の前にそれには手をかけず割腹した武将の伝説が大きい公園の石碑に刻まれている)

よしんばあったとして、
それはお祭りとか海辺の屋台で売ってる水浸しのやつくらいだ。

あ、そうですそれそれ、買ってたんですねアクエリ。
いや、確かにぬるい~、じゃなくて。服を着てくださいって。

 

なのに、コース料理の最後にしれっと登場したりする。
スポンジやクリーム、果実の総合体であるケーキらを差し置いて。

しかも、出されると「わぁ!アイスだ!」という気分になってしまったりもする。
「わぁ!」じゃないのだ、「なにぃ!?」とならなくてはいけない。

 

そもそもアイスがデザートの立ち位置にまでのぼり詰めたのは、
焼肉屋のせいだとにらんでいる。

焼肉屋でコースや食べ放題をとると、
最後にアイスがくるのがお決まりである。

 

あれは、順番が「最後」なのであってデザートではない。

そもそも最後に出されて黙っていられるのも、
散々よく焼けた肉ばかり口に放り込み、
その合間もよく炊けたお米でつないで、
いよいよ口の中をアクエリ以外の冷たいもので満たしたい、
そのタイミングでサーブされるから許せているだけである。

 

デザートであるわけがない。

 

アイスでしかないのである。

 

だから、単体でデザートの一つとして登場するのはナシにしてほしい。

誰も自覚できていないだけで
「え?アイスだけ?」という期待外れのフラストレーションが内在しているはずだ。
人間ストレスを感じなければ200まで生きるというし、
案外変えていけるのはこういうところからじゃないだろうか?

単体ではなく小さいケーキとかと一緒に大きいお皿で出てくる分には
全然いい。

なぜって、一度に複数食べられるとお得な感じがするし、
何よりアイスって美味しいじゃないですか。

 


いや、全然アイス大好きですよ自分。

 


まさかアイス好きだとは思わなかった?

まんまとかかりましたね。

 


この文を読んだ人は私をアイス嫌いだと思っているし、

この文を読んだ水着ギャルは服を着ている。

 

これがメンタリズムです。

 


今回の記事はこんなところです。

予定してるテーマとしては、


・どの程度までオタクはオタクである事を妥協できるのか
淫夢は何故面白い
・ツッコミどころの多いエッチな広告をあえて肯定する


こんなのも書こうと考えています。


では最後に、
一緒に天空の城を作っているすいたさん・並木さん
この両名に好評だったまとめを記して終わりにします。

 

・筆者は、冬はもこもこのパジャマで寝ている。

・イチゴ大福の製造には、鬼が一枚かんでいる。

・アイスは、アクエリアス

・いま日本に、何も羽織っていない水着ギャルはいない。

 

またお会いしましょう。

 

天空の城を作る計画

どうもはじめまして。謹製です。

 

僕を指す呼称として、親や先祖からもらったもの以外に

 

謹製 と、 遠日点

 

というのがあり、僕は遠日点という単語を大層気に入っているのですが、

どうも前者の方が呼ばれる割合が高く、

この前親にも

 

「あの名前は良い」

 

と唐突なお墨付きをもらったので、謹製、というていで行こうと思います。

 

 

 

そんなことより。

 

 

 

僕は人生でまたとない暇な時期(=就留)に

人生でまたとない暇をコロナ禍に与えられてしまいました。

 

肝心の就職活動もエントリーがあらかた終わり、

眼前には無限に広がる予定の無い時間…

 

困ったもので、

忙しいと「何もしない自由な時間が欲しい」とぬかすくせに、

いざまっさらな時間を大量に与えられると、

「この日この時間、自分が存在した証を作らねば…!」

と気がせいてしまうんですよね。

 

格好悪い矛盾だと思いつつも、

目下のところは盾でも矛でもいいから

どっちかだけでも売らないと…!

 

と、そういう気持ちで

「誰かと持ち回りでnoteの連載がしたいです」

とつぶやいたのが大体2週間前のことでした。

 

 

日記や筋トレ、積読の昇華など、

小手先でこなせるものは全て手を出してしまい、

何かほかに…

という中で、

 

やはり何かアウトプットを!

 

という事で発露したこのツイートが

実に28のユーザーにエンゲージメントし(ツイートアクティビティより)

 

その一人がすいたさん(空腹さん)だったわけです。

 

 

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、

3人でブログを連載していこうというのがこちら、

 

天空の城を作る計画

 

です。

 

すいたさんが出してくれた4つの名前案から選ばれたこの「天空の城を作る計画」ですが、

僕がはてなブログの事をよく知らず適当にIDを設定したら

 

plan_laputa's diary

 

と毎度表示されるようになってしまいました。

 

ラピュタ計画の日記、と

クーデター組織の議事録みたいになってしまいましたが、

縦読みしようが「た」を抜いて読もうが

暗号等は出てこないのでご了承ください。

 

ちなみに、

noteでないのは既にあるアカウントとの切り替えが面倒なためです。

 

 

さて、

この天空の城を作る計画は、

 

私謹製、

学生落語等で活躍されたすいたさん、

そして劇団はりねずみのパジャマの立上げ人、並木さん

 

この三名でやっていきます。

 

上から順に、

連載がしたいとツイートした人

それを見てやろうと持ち掛けてきてくれた人

二人との距離感が同程度に近いという条件でもう一人として選ばれた人

こういった関係性で始まっております。

 

お二方、僕の思いつきに乗っかってくださり、

本当にありがとうございます、

そしてよろしくお願いします。

 

 

流行りのオンライン挨拶を済ませたところで

早速の告白なのですが、

 

僕は

何でもいいから誰かと連載がやってみたい

というだけで、

いざ始めるとなると何を書けばいいのかてんで思いつきませんでした。

 

3人目も決まらぬ頃にすいたさんに相談したところ、

 

「自分や周りにある問題を考え直してみる」

 

というアイデアをもらい、

俄然やってみたいと思ってこのテーマになりました。

 

なぜやってみたかったのか、

という理由もいくつかあるのですが、

それはまた連載のネタにでもさせてもらおうかと思います。

(↑もうなんだか作家みたいですね、気分がいいです)

 

 

つらつらと思い出せた順にいきさつを並べましたが、

ともあれ、天空の城を作る計画

をどうぞよろしくお願いします。

 

既に最初の記事がすいたさん筆で載っています。

ぜひ読んでみて下さい。

 

 

 

 

僕はドロヘドロとザ・アフィリエイトって感じの記事のどちらも好きなので、

この記事のまとめを置いておきます。

 

 

・天空の城を作る計画、は謹製・すいた・並木の3人から成る。

・天空の城を作る計画、は身近な問題について考える記事の連載。

・発起人は謹製、でも実質はすいた。

・連載のペースは名言されておらず、どんな可能性もありうる、という幅を持たせている。

 

 

 

おい誰だ!的確な読解をまとめに載せたヤツは!

コラ~~~!

 

☆謹製、下手にハケ

 

 

(舞台暗転)

他人に見られることを考える

すいたです。ツイッター上では空腹(現:空腹虫)と名乗ってますが、「空腹さん」とリアルで呼ばれる想定の名前ではなかったために落研の名前であるすいたと名乗ろうと思います。瑛太の感覚で呼んでください。

 


この話を長く事細かに書いたメモ帳がPCのどこかに消えた。考えもせずテキトーな場所に名前も付けずに保存してしまうからだ。家でなくパソコン内も散らかっていく。昨日部屋が汚かったのでツイキャス配信をしながら掃除をした。画面上には部屋と掃除をしてる自分だけが映し出されていて、パソコンからはyoutubeで限定無料公開されているSHISHAMOのライブツアー(2017年の方)が流れている。女性三人は武道館で演奏し歌い、成人男性は無言でカーペットについてるゴミを取ろうとコロコロを回している。とても画期的な映像だったので2時間配信したが基本は誰も見ていない。4人くらいがちょっと見ては消えていった。それがたまに見張りに来る先生な気がして掃除は結構集中できた。


めちゃくちゃ家にこもる昨今、人に見られることが減っていく。他人の目があるからこそ人はやりたくないことだってできる。そう考えると他人の目が価値を帯びてくる。監視してくれるサービスがこれからは主流になってくる。レンタルなにもしない人がいるようにオンラインなにもしない人がいたっていい。
この何も出れない生活をただ誰かの目にさらすことで「囚人ごっこ」だって可能だ。「SYUJIN」というアプリを出したい。たまに看守がやってきては「なんだその目は」とか言ってくる。よくガムを噛んでるし鍵が何個か付いた輪をくるくる回す。囚人となったユーザーは読書したり筋トレしたりして時間を潰す。どうだろう、コロナ刑務所から出るときには立派になってるじゃないか。
そして昼になるとオンライン昼食会になる。冷めたフライドポテトをつまみながら「ここから出ようとなんて考えるなよ。」と新人に注意できるのがポイントだ。逆に「ヘイ一人で寂しいだろ、俺が慰めてあげるぜ」とヘラヘラして新人にセクハラしたっていい。そんなありとあらゆる人間関係が構築できるオンラインサービス。
外に出られないが衣食住が保証されている人間はすべて囚人。誰だって面会では触れられない、物も渡せない。でもシャバに出たら何したいかを話し合う。こんなにも囚人な時代があるだろうか。

僕は自分から見られに行くことでかつての社会性のある自分を取り戻しに行く。


コロナ憎まず罪を憎め。罪人であふれている今、新たな世界で楽しく平和に暮らすため「天空の城を作る計画」を始動する。

 

 

これから定期的に更新していきます。身近な問題のそもそもを問い直したり、新たな提案を出してちょっと前進することが目的です。

 

すいた